あの時代の慶キャン

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わが師わが学(2) 中村勝範先生「邂逅」②

1972年12月15日発行 創刊号より 中村勝範先生が、中村菊男先生を紹介 中村勝範先生は、慶應義塾大学を受験したとき、試験用紙に氏名を書き忘れたことを注意されてもショックを受けなかったことを思い出しています。 ショックを受けなか...
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わが師わが学(1) 中村勝範先生「邂逅」①

1972年12月15日発行 創刊号より 中村勝範先生が、中村菊男先生を紹介 姓も同じだし、身体つきも次第に恩師に似ていくので、知らない人は恩師中村菊男教授と弟子の私は兄弟か親戚かときかれることがしばしばある。そういう関係はまったくな...
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創立150年当時の思い出 ~歴代編集長より②~

 私が編集に携わったのは2007年からの2年間であったが、一番印象に残っている出来事は何と言っても2008年の義塾創立150年に立ち会えたことだ。この大きな節目に、義塾は次の時代に向け大きな進化と発展を遂げた。日吉キャンパスでは、日吉駅...
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「慶応キャンパスに期待する」気賀健三先生(1973年12月15日発行・一周年記念号より)

学生らしさを発揮する新聞を、わたくしは慶応キャンパス新聞に期待する。1972年の春から慶応のキャンパスにふきあれた一部学生の過激な動きは、自治と称して自治を破壊し、学間の自由のためといって、その自由をおかそうとするものであった。世の中の革命...
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1975年9月1日(月) 21号1面より 「『就職決定』あせる学生も」

現に5月、6月の頃は、企業研究という形で、わずかではあるが学生の企業訪問もあったようだ。 しかし、ほとんどの企業は、学生が、人事課を訪問しても、断わったところが多く、人事課入口にも「会社訪問は、9月1日以後に」という掲示があり、応待に出た...
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創刊の辞「公器たる原点から」

1972年12月15日(金)創刊号・1面より 文学部教授(当時) 白井浩司    今日ほど新聞が不信の眼で見られている時代は、ほかにない。その第一の原因は、現実の認識を蔑 (ないがし)ろにして、ある主義ある主張のために偏った報道をする...
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創刊当時の思い出 ~歴代編集長より①~

 創刊が1972年12月15日号なので、ほぼ半世紀前になる。当時助けていただいた先生方や諸先輩は鬼籍に入られた方が多い。誠に思い返すも夢のような歳月の流れである。1972年はベトナム戦争の最中であり、それを解決するための方策としてのニク...