1972年12月15日(金)創刊号・1面より
文学部教授(当時) 白井浩司
今日ほど新聞が不信の眼で見られている時代は、ほかにない。その第一の原因は、現実の認識を蔑 (ないがし)ろにして、ある主義ある主張のために偏った報道をすることを自ら肯定しているからである。そのことに関する具体的例証ならば枚挙にいとまがない。たとえばあの林彪(*)の失脚について日本の新聞がどのような報道をしたかを思いだせば事足りる。
赤軍派事件によって頂点に達したかに見えた青年の反体制運動は大学粉争を挺子として全国にひろがったが、あの無秩序な運動が進展した裏には、事態を造反有理の立場から判断した新聞記者の歪んだ認定がなかったとはいい難い。
現在早稲田大学において革マル派によるリンチ殺人事件が直接の原因となって混乱がつづいているのだが、新聞論調には早大当局の無能無策を指摘する声が高い。しかしそれならばどのような方策を樹てるべきだというのであろうか。どこの大学でも大学当局は、暴力 に対抗できるどんな力も持ちあわせてはいないのである。話しあいと一口でいうが、それが可能であったならばこんな苦労を誰がするであろうか。こうした現実を直視しないとき、新聞は空語の羅列に終わるであろう。
その極端な場合が大学新聞と称せられるものである。多くの大学新聞は新左翼の学生の牛耳るところとなり、それらの新聞の掲げる記事は、その新聞に同調できる一握りの連中の間にしか通用しない言葉によって綴られている。新聞というよりも同人紙にひとしい。 戦闘的で誇張された、難解な表現がならぶその紙面を眺めていると、うそ寒い風が立ちのぼってくるようだ。自己陶酔のなんという空しさ。
いまここに「慶応キャンパス」を創刊するに至ったのは、右に述べた事態を坐現することが危機的状況をさらに深化させると観ずるに至ったからである。もとよりわれわれの試行錯誤、われわれの経験不足は避けられず、所期の目的がただちに実現できるとは考えていない。またわれわれには大学の御用新聞となるつもりは毛頭ない。大学の姿勢に関連して匡(ただ)すべきも のは匡し、批判すべきものには批判を加えることが公器たる新聞の役割でなくして、どこに新聞の存在理由があるであろうか。ただわれわれはつねに一党一派に偏する硬化した態度を採らないよう自戒したい。現在の大学新聞は、サイレントマジョリティの意見を反映することを忘れてしまっている。彼らは大学がその本来の姿、つまり静かに学問を探求し、新しい展開の緒をつかむ場所に帰ることを心から望んでいる。われわれが期待できるのは、声だけが騒々しいいわゆる突出した部分ではなく、緻密に知識を蓄積している大多数の者なのだ。公平にして客観的な報道と解説とを行なうという極めて常識的な基本的姿勢を堅持することがこの新しい新聞の努めである。
(慶応キャンパス新聞会会長)
*注
林彪(1907-1971)
中国の軍人。第二次世界大戦後、共産党の要職を歴任。文化大革命で毛沢東の後継者に指名されたが、クーデターに失敗、逃亡中飛行機が墜落して死亡。