わが師わが学(1) 中村勝範先生「邂逅」①

1972年12月15日発行 創刊号より

中村勝範先生が、中村菊男先生を紹介


姓も同じだし、身体つきも次第に恩師に似ていくので、知らない人は恩師中村菊男教授と弟子の私は兄弟か親戚かときかれることがしばしばある。そういう関係はまったくなく、これはすべて偶然である。
昭和二十四年の春まだあさきころ、合格しようとは夢にも考えず私は慶応義塾大学法学部政治学科を受験した。受験科目として英語、幾何、生物、日本史をとった。
何時間目であったか忘れたが、物理、化学、生物のなかから生物をえらんでやっていた。やさしい試験であり出題の九〇パーセントは高校(私は新制高校の第一回卒業生である。)の模擬試験でやったものであった。全受験生にやさしかったかどうかはしらない。私どもの高校生は多少の自惚れもあったかもしれないが、またささやかな自信ももっていた。
合格を特に目ざしたつもりはなく、生物の問題もやさしかったのに、どうしたわけか私は名前と番号を書かないでベルの合図で受験場を退出したらしい。
そしてつぎのベルで、つぎの科目を受験するために机についた。
「君、さっきの答案用紙に番号と名前が書かれていなかったよ。⋯⋯」
という声がする。顔をちょっと横にむけると若い監督者がいて、どうもそれは私にいっているらしいのである。いや、まちがいなく私にいっているのである。
なにがなんでも合格しなくてはと思っていたならば私の心は「しまった、失敗した、さあもうだめだ」という気持になったかもしれない。しかし、合格などという気持はカケラほどもなかったので、まったくショックはなかった。


 

中村勝範先生が大学受験をした当時を回想しながら、名前を書き忘れてしまったけれど、ショックを受けなかったというエピソードですね。まだ、中村菊男先生は登場していません。このエピソードからどのように登場してくるのでしょうか。