「慶応キャンパスに期待する」気賀健三先生(1973年12月15日発行・一周年記念号より)

学生らしさを発揮する新聞を、わたくしは慶応キャンパス新聞に期待する。1972年の春から慶応のキャンパスにふきあれた一部学生の過激な動きは、自治と称して自治を破壊し、学間の自由のためといって、その自由をおかそうとするものであった。世の中の革命的運動家の中には、この種の行動を好んでとるものがおり、それがかれらの生活の一部になっているのであるが、学生はその本来の性質からいって、こういった運動家ではない。

学園を出て社会人として働くまでは、その準備の段階にあるのであって、いわぱ一種の特権を認められた身分におかれているといってよい。学生諸君はこのことを十分に理解すべきである。人格としてはもう十分に一人前の資格をもっているし、次の世代を背負うべき階層として社会的に期待されているのが学生である。

その許されている特権にふさわしく、その期待されている立場にこたえて、学生は自重し、謙虚であり、そして冷静でなくてはなら ないとわたくしは思う。そして知性をみがき、正義の観念を心のうちに養うのが、学生時代の重要な課題ではないかと信じている。社会生活のうちにはいりこんで、自身とも社会人の一員として働くとき、人間のもついろいろな欲望のいりみだれる世界の姿を学生諸君は体験するであろう。美と醜が交錯して諸君の生活をとりまくであろう。

学生時代の生活は、何が善で何が悪か、何が美で何が醜かと判断する能力をそだてることが大切である。慶応キャンパスは発刊一周年を迎えるという。わたくしの期待にそって、その方面に新聞活動の意 義をみとめてくれるならぱ、わたくしとしては非常に幸いとするものである。(経済学部教授)

 

〜記者のコメント〜

1973年の6月まで約半年間、日吉キャンパスでは学費値上げをめぐる反対運動が行われていた。運動は次第にエスカレートし、学年末試験の妨害と中止、学内封鎖のストライキにまで至った。一部の暴力的な学生のみが運動を続けている状況だったが、73年の6月にようやくストライキが解除された。私自身、こういった機会に過去の記事を遡ってみるまで、学費闘争があったことなど聞いたことがなかった。

これが書かれたのは、確かに数十年前だろう。しかし、この記事に書かれているメッセージは今の私たちにも共通することも多いのではないだろうか。