11月22日(日)と23日(月)の二日間にわたって開催された第62回三田祭において、「対談企画・三田討論〜アフターコロナの大学教育〜」が行われた。慶應義塾大学文学部長の松浦良充教授(以下、松浦教授)と同大環境情報学部長谷部葉子准教授(以下、長谷部准教授)、そして塾生代表の後藤圭祐代表(以下、後藤代表)の三名が出演し、ウィズコロナ、そしてアフターコロナの大学教育について活発な議論が展開された。以下は、その対談の内容を要約したものである。
教育の目的は”自分”が何者かを知ること
対談のはじめに大学教育の役割とは何かについて、それぞれのコメントがあった。
松浦教授は教育の役割を経験を意味づけすることとした。教育の役割といえば、社会にどう役に立つのかといった社会学的な視点で語られることが一般的だ。それに対し経験を意味付けするとは、自分が経験したことにどういう意味があるのかと考えてみることであり、よりミクロな視点に絞られる。
長谷部准教授も同氏の専門である異言語・異文化コミュニケーションという語を用いて、教育のゴールは自分が何者かについて知ることだと述べた。異言語・異文化とは、必ずしも外国語や外国の文化を指している言葉ではない。同じ日本人であっても、互いに出自が違えば背景とする文化も少しづつ異なってくる。異文化を持った他者とコミュニケーションをすることを通して、自分とは何者かを知ることが大切だとした。
オンライン授業で生まれた新しいコミュニケーション
松浦教授、長谷部准教授とも複数の授業を担当しているが、教員の視点から見たオンライン授業のメリットとデメリットは何だろうか。
長谷部准教授は、自ら受け持っている研究会(ゼミ)で、オンキャンパスと同じ質のコミュニケーションを、オンラインでどう実現できるか試行錯誤していたという。そんな時、研究会のOB・OG達から連絡があり、彼らが研究会に参加してくれることになった。OB/OGがリモートワークでフレキシブルに時間を調整できたことで、このような研究会が可能になった。その他にも、授業外で生徒同士が課題について話し合う時間をとるようにしたことで、課題のクオリティが上がったという。いずれにせよ、コロナ禍という状況下でビデオ通話を用いて授業を行なっているからこそ可能となった、新しいコミュニケーションの形である。
松浦教授は、長谷部先生の例のようにコロナ禍だからこそできるコミュニケーションのあり方を模索することが必要だと話す。対面の授業をノーマルにして、そこに近づけてようとするのには限界がある。今までにはなかった新しい方法を試行錯誤するべきだという。
新しい義塾のあり方を半学半教で議論する
大学制度とは、現在までおよそ800年近く続いている制度だ。その800年の間に様々な環境の変化がありながら、まるでゴキブリのごとき環境適応能力を見せ、生き残り続けてきたのが大学だと松浦教授は言う。今このコロナ時代に、私たちはいかに経験の意味づけをするという本来あるべき大学の役割を担保するか、岐路に立たされている。
ここで松浦教授は、具体的に来年度までは過渡期で、その次の2022年度からは大学としての10年・20年先の新しい形を考えて提示するとした。その意味で今年度入学してきた1年生は、新しい大学を作るという重要な役割を担っていると呼びかけた。
今私たちは非常に重要な時期を大学生として過ごしている。私たちの行動次第でアフターコロナの大学のあり方は大きく変わりうる。学生を含めた塾員が一丸となって、アフターコロナの時代にあるべき大学像を議論し、作り上げていく必要がある。